あなたらしいコミュニケーションのはなし

現代は、「コミュ力至上主義社会」のように思われる。

コミュニケーション能力が高い人間こそが上等であり、
コミュニケーション能力が低い人間は下等であるとされていないか。


皆が皆、すべからくコミュニケーション能力が高くあるべきなのだろうか?
それは、「みんなと同じ」になろうとする姿ではないか?
「個性が大事」とか「個性的になりたい」と言いながらも、
皆が一律に「同じコミュ力」を求める。


顔や名前が異なるように、コミュニケーション方法も人それぞれ異なるはずだろ思うのです。
それが個性だと思うのです。


コミュニケーションが得意な人もいれば、苦手な人もいる。
コミュニケーションの方法も人それぞれ違っていい。それでいい。
その違いを受容する。それが多様性ではないだろうか。


そうは言っても、コミュニケーション能力が高い人を見ると、
「楽しそうでいいな」「生きやすそうでいいな」と思ってしまうのかもしれない。
だったら、比べなければいい。
他者と自分を比べるから、羨ましいと思うのだ。
他者と比べることを、誰かに要求されたのだろうか。
されていないはず。
自分で自発的に他者と比べて、悲観しているだけではないだろうか。
そんなことしなくていいのに。


あなたらしいコミュニケーションでよくないか?
話すことが好きなら、会話すればいい。
言葉が辛辣になりがちな人は、別の言葉に置き換えるようにすればいい。
会話が緊張するなら、手紙を書けばいい。
言いたいことをメモ書きしてから、落ち着いて話すのはどうか。
相手の目を見るのが苦手なら、相手の顔周りをふんわり見るのはどうか。
ひとりで出来ることを、集団でやる必要はないし。
必要もないのに集団に組することはない。


あなたが楽しいと思うことをしよう。
あなたらしくいられることをしよう。

自分は何が楽しいと思うのか。

それは自分で見つけて気づくしかない。
誰かが差し出してくれた「楽しいこと」は、他者が楽しいと思っていることであるから。
誰かがくれるものではないはず。
自分がどんな時に楽しいと思ったのか?
自分が何が気になって、興味があって、心が動くのか?
それは他者が知るはずがないのだから、自分で思い出さないと。
少しでも興味を持ったものはやってみて。


もちろん、私の占いで、
「あなたらしさ」や「あなたらしいコミュニケーション」を探す手伝いはできます。
あなたの性質とか、得意なこととか、苦手なこととか、
どんなシチュエーションだと満足感を得られるとか、
どんな心持ちでいると幸福感を得られるとか。
そういうことは、占いで指し示すことができます。
それを踏まえて行動に起こすのはあなたです。

占いは、手段のひとつです。



写真タイトル『どんなあなたらしさにも花束を』





きらめく赤いクリスマスツリー



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