運勢はいじわるだ

映画「ライラの冒険 黄金の羅針盤」を観たことはありますか?


ダイモンと呼ばれる、自分の分身であり、守護精霊が常にそばにいて、
なんやかんやと話しかけてきます。
見えるはずのない守護精霊が、見えるし、話せるのです。
(物語だからなのですが)


あんな風に、自分の運勢も目に見えて話してくれればいいのに・・・と、
思いませんか?

迷ったときに、運勢が言ってくれればいいのに。

「今だよ!」とか、「まだだよ!」とか、「そっちじゃないよ!」とか。


話してくれなくても、せめて運勢が目に見えればいいのに。
そうすれば、間違った道に進むことはないのに。


迷うのです。悩むのです。
はっきりと明確な正解がどこにもないから。
タイムマシンに乗って未来を確認することもできないから。
あらかじめ、自分の人生の最適解を持っている訳ではないから。


現代は便利で、何でも揃っている。ありとあらゆることに答えが用意されている。
だから間違うことを恐れ、効率化を最重要視している。
そんな現代人にとって、1秒先の未来すら不明瞭な人生とはなんとタイパが悪いことか。


人は何故生まれてきたのか。何故生きるのか。
どんな役目を持って生まれてきたのか。
それを知るために宿命がある。
(そう言い切ってしまうのは、なんだか宗教臭くて、私は好きではないのですがね・・・)


例えば、暑い時期に咲く花は、寒い時期には咲かないし、
その逆も然りで、
寒い土地で育つ樹木を、暑い土地に植えても育つのは困難です。
そういうことが、持って生まれた宿命には書いてあります。


向き不向きや、ポテンシャル、
加えて、良い時期と悪い時期が交互にやって来ること。
人が睡眠を取り疲れを取るように、運勢にも休息が必要なので、
そういう時期も宿命には書かれています。
指針にはなると思います。


しかし、

宿命や運勢は漠然で抽象的で、解釈には幅があります。

「いつどこでどのような花を咲かせることが出来るのか」
そんな風に抽象的に書かれています。


だから、
運勢と現実が一致しない、相違があると感じてしまう。
現実は、具体的でピンポイントだから。


しかし、

その解釈の幅こそが「自由」なのだと思います。

もし運勢が具体的でピンポイントだったら嫌じゃないですか?
例えば、「1年後にアメリカに行き、3人目に知り合った人と結婚せよ」とか、
そんな決まりきった運勢なんて、押しつけがましくて不自由で私は嫌ですね。
だから、抽象的な運勢を具体化して行動に起こす「自由」がある。
その「自由」を他者の手に渡してはいけない。


現代人は忙しい。
常に答えだけを求める現代人は、そんな曖昧は言い方では納得しない。腹落ちしない。
はっきりと具体的に分かりやすく「答え」を示すことを要求する。
自分の未来も、「答え」だけがほしいですか?
誰かにかみ砕いて貰った簡単な「答え」でいいですか?
自分で具体化しなくてもいいですか?


ちなみに、
持って生まれた宿命がいくら優れていても、
それを活かして生きていないと、意味がないんですけどね。


長くなりましたが、
簡単に言うと、運勢はいじわるで、不平等なのです。
(分かり難いですかね?)





写真タイトル『不明瞭(いじわる)な光』









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